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旅のあれこれ

【コラム】無意識に生まれる先入観や偏見のワケは、とても単純かもしれない

旅好きなみなさん、こんにちは!

突然ですが、あなたは、社会で生きている中で、自分を中立的で限りなく染まっていない存在でいさせることは可能だと思いますか?

私は海外旅行が大好きで、これまで50か国以上を訪れてきましたが、旅をすればするほど、そして色々な人に出会えば出会うほど、自分の中に葛藤が生まれることに気づきます。

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自分が自覚している以上に、自分の考えや価値観がものすごく染められていて固まっていて、自分が目指したい中立的な視点なんてどう頑張っても持てないのではという葛藤で、「なんだかなぁ」と行き場がなくなってしまうことがあります。

私が旅をする目的の大きな一つに、

世の中には色々な世界があること、そしてそこで生きてきた人たちの社会や文化、習慣が根付いていることを自分の肌で感じ、受け止めること

というテーマがあります。

そして実際にその地で出会う人々とのかかわりの中で、自分自身を含め、キレイだったり汚かったする「人間の本質」にぶち当たることになります。

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今日は、海外旅行や滞在を通じて考える「先入観」や「偏見」について、エピソードを交えて綴りたいと思います。

日本人や日本に対する世界の先入観

私は日本を離れ、特に日本人がまだ馴染みの薄い国へ行くと、その土地の人々から自分(日本人)がどう思われているかが気になります。

また、一般的に間違われやすい日本人、中国人、韓国人の違いにどのようなイメージを持っているのかも気になります。

そんな私が、海外での生活や旅を通じて自分自身が知らずのうちに持っている先入観を意識するようになった気がします。

ルーマニア・ブカレストで人種差別?

街中で食らったアジア人への洗礼

私はルーマニアの首都ブカレストに長期滞在していた時、これまでには感じたことのない外国人への視線により、ものすごい違和感と嫌悪感を覚えた経験があります。

他のヨーロッパの首都と比べ、ブカレストには、観光客を含めアジア人がとても少ないのですが、

住み始めて1~2か月の頃、いつものように通勤時間にバスに乗っていると、何だか鋭い視線を感じました。

私から2メートルくらいの所に立っていた、50代くらいのごく普通のルーマニア人の男性でした。

その男性は、睨むでも微笑むわけでもなく、まるで初めて宇宙人を見つけた時のようにじーっと私を見つめていました。

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私が何か変なことをしているかな、顔に何かつけたままバスに乗ってしまったのかなと確認しますが、私自身におかしなところは特に見つかりませんでした。

睨まれていなくても、人はそんな風にじーっと他人から見つめられると居心地が悪くなり、目をそらすしかなくなります。

私が気まずく感じて目をそらしても、その男性は数分間ずっと私を真顔で見つめ続けていました

そしてブカレスト滞在中は、このような体験をあちこちで頻繁に味わうことになりました。

徐々にブカレスト生活に慣れた私は、バスや地下鉄に乗るのも日常的な生活の一部となり、真顔で見つめられたり、「キネーザ(ルーマニア語で「中国人」)」と街中で叫ばれてもあまり動じなくなりました。

小学生、中学生くらいの子どもからは、よく真顔で見つめられたり、「中国人!」と指をさされることは、他の国でも経験済みでしたし、違和感を覚えることはさほどありませんでした。

ただ、50代以上の大人から同様な態度を示されるのには、どうも気分が悪く、煮え切らない思いがありました。

なぜなのか?

このような洗礼を受け続ける中で、私は考えました。

なぜこの大人たちは、こんな風に私を真顔で見つめるのだろうか。

EUに加盟して10年以上たつヨーロッパの国・ルーマニアの首都で、島国でもなく開かれた大陸続きの国で外国人の往来もあるはずなのに、大の大人が異人種の顔をじんまりと見つめることに何かしらの理由・説明が欲しかったのです。

私の実験と挑戦

そこで私はある実験を試みることにしました。

それは、彼らを見つめ返すことです。

私の顔を真顔で見つめてくるルーマニア人の大人を見つけたら、私も同じようにその人を数分間見つめ返してみました。

そう、見つめ合い合戦の開始です。

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私は恥ずかしさと気まずさを抱えながらも、見つめ合い合戦に耐え、勝利するまで止めないようにしました。

すると、これまでは私が嫌そうな顔をして目をそらしたり、避けるように場所を移動しても決して見つめることをやめなかった人たちに変化が見られました。

見つめ合い合戦が始まり10秒程たった時、そのルーマニア人は、はっとした様子で、気まずさを感じ、目をそらしたのです。

「勝った!!!」

私は心の中で喜びがこみ上げました(笑)

ここでお伝えしておきたいのは、

見つめ合い合戦は、にらみ合い合戦では決してないということです。

そのルーマニア人も私も、睨んだり卑下するような視線で見つめ合っているのではないのです。

そして、この経験を数回重ねた結果、私の中で腑に落ちる答えが見つかりました。

「この人たちは、外国に行ったことがない異人種の中に少数派として存在したことがないだけなのかもしれない。」

要するに、異人種からこのように見つめられたことが今までないのではないかと思ったのです。

だから、珍しい顔(アジア人顔)をした私を真顔で見つめることにも違和感がないし、もちろん悪気もない。

この回答に行きついた途端に、私はすっと肩の荷が下りました。

「よかった。危うくルーマニア人を嫌いになってしまいそうだった・・・」

大げさかもしれませんが、攻撃性がなくても、真顔で見つめられる洗礼を日常的に受け続けていたら、誰でも嫌悪感を抱いてもおかしくないと、私は実体験で身をもって感じたのです。

勘違いが先入観や偏見に繋がることがある

今回のルーマニアでの実体験で一つ学んだことがあります。

それは、

人は勘違いや思い込みから、容易にしかも無意識に先入観や偏見を持つことがある

ということです。

まさに私が、ルーマニア人の大人に真顔で見つめられて嫌悪感を抱いた経験によって、

  • ルーマニア人は無礼だ
  • ルーマニア人は差別的だ
  • ルーマニア人は教養がない

などと受け取ってしまっていたら、その時点で私の中でのルーマニア人へのイメージが出来上がってしまい、その先も偏見をもった見方をしてしまっていたと思うのです。

少なくとも、真顔でじっと見つめられて気持ちがよいと感じる人はいないと思いますし、ネガティブに受け取ってしまっても不思議ではないと思います。

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しかし、実験の結果私が見出した答えによると、

これは何もルーマニア人に限ったことではなく、一つの国で生まれ育ち、外国や外国人との接点がなかった人であれば、日本でもアメリカでも同じことが起こり得るのではないかと思うのです。

ただ単純に、何かを未経験だったり、知らないだけだったりするのです。

そしてそれは、それを経験したことのある人や、知っている人間から咎(とが)められたり、ひどく軽蔑されることであってはいけないと私は思いました。

ポジティブな結末を自分でつくる

実は、このルーマニアでの実験と挑戦には続きがあります。

見つめ返すこと、つまり「見つめ合い合戦」の次に私が行ったのは、

そう、笑顔でにっこり見つめ返すことです。

Photo by Aleksandar Popovski on Unsplash

単純に、笑顔で見つめ返したらどんな反応が返ってくるのかに興味があったのと、

彼らにとって異人種である私がにっこり笑いかけることで、

何か新たな感情や感覚を彼らの中に生むことはできないかと考えたからです。

勝手に教育しているような上から目線に聞こえるかもしれませんが、

笑いかけられるのであれば、見つめられても気分は悪くないのだということを、

どうにかして伝えたかったのです。

そしてこの実験はとても効果的だったと私は思います。

この「見つめ合い合戦」からの「にっこり手法」がきっかけで、

何気ない会話が始まり、

私が日本人であること、日本は中国や韓国とは近所だが別の国であることなどをフレンドリーな雰囲気で説明する機会を得られたこともありました。

笑顔で「ニーハオ」と話しかけてきたオジサンに、笑顔で「こんにちは」を教えることもありました。

先入観や偏見はもった方が負け

できれば、外国の人に日本を好きになってほしいし、日本人に敬意をもってもらいたいと思う私ですが、

それならばまずは自分が知らない人や事への先入観や偏見をできるだけ持たない努力をしようと思うのです。

このルーマニアでの出来事のように、

そう思わされる出来事が、海外にいると本当にたくさん起こります。

人間は、人種に関係なくある意味すごく単純だと思います。

自分にネガティブな印象を持っている相手や、明らかに嫌っている相手を、

あなたは手放しに好きになることができますか?

私はできないと思います。

逆に闘争心に火がついて、

「見てろよ、絶対私を好きにさせてやる!」と挑める人もいるかもしれませんが、

人間は意外と傷つきやすく、一定の自己防衛本能が備わっている生き物だと思うのです。

しかし、誰かや何かを嫌ったり憎むことは、相当なエネルギーが必要で、疲弊します。

だから、自分が勘違いされて偏見を持たれる前に、まずは自分が相手に偏見を持たないよう努力することが大切だと私は学びました。

一人旅Photo by Anna Vander Stel on Unsplash

小さいことかもしれませんが、世界が少しでも平和な共同体に近づくためにも、

私はこの小さな実体験と学びを海外旅行や海外生活を通じて続けて、周りにも伝え続けていきたいと思っています。